巡見街道

じゅんけんかいどう

いなべの人には馴染みの深い巡見街道。江戸時代に幕府より派遣された「巡見使」一行が通った道で、東海道を亀山から分岐して、菰野~石榑~治田~東禅寺~山口~古田と国道306号を縫うようにして北上し、さらに関ヶ原まで延びて中山道と連絡しています。
巡見使とは、幕府が政治の参考にと、諸国の政情を視察させた情報収集係で二千石以上の旗本を筆頭に正副巡見使が3人、お供の者を入れると時には100人を超える大行列だったそうです。巡見使通過の令が諸藩に伝わると、道の整備、接待や質問に対する指南書作りなど藩内は大騒動となり、通過の際にも出迎え・本陣(宿)へのご機嫌伺い・見送りと大変だったようです。巡見使は寛永10年(1633)から天保9年(1838)まで、将軍が変わる度に派遣されました。全国的には19回派遣され、うち10回は三重県を通過したと記録されています。
巡見街道は、一般には特定の道を示すものではありませんが、北勢地域には今も街道名として残っていることから、巡見使の通行がこの地に大きな影響を与えていたことがうかがえます。巡見街道と聞くと、“ふるさとの道”“子どものころの思い出の地”といったイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか。

参考資料 : 巡見道(1984年刊 三重県教育委員会) 

・・・・・いなべ市情報誌Link「めざせ!いなべ通!!」から一部抜粋しました・・・・・

名称: 巡見街道
所在地: (地図)